AEWと新日本プロレスの合同興行『ForbiddenDoor』
その実現の裏には、新日本プロレスのロッキー・ロメロの尽力があったことをAEW社長のトニー・カーンが大会後の記者会見で語りました。
トニーと新日本の関係者の間に立って何百回も電話やメールでやり取りをして、日本とアメリカを行き来していろいろな調整をこなし、時にはピンチヒッターとして試合を行う…
今回のイベントにおけるロッキーの貢献は尋常ではなく、トニー・カーンもロッキーの事を手放しで絶賛しました。
そんな『禁断の扉』の裏の立役者であるロッキー・ロメロがインタビューに登場。
『禁断の扉』のイベントが始まった最初のキッカケ、ショーを実現させるために意識したこと、AEWは旗揚げ当時のAEWと新日本の関係、最初にAEWと新日本の扉を開いてくれた人物…
今回のイベントの舞台裏を語りました!
『禁断の扉』は10ヶ月前のロッキーのメールから始まった
ロッキー・ロメロ:
俺の記憶が悪いせいなのか、みんな俺のことを褒めてくれるんだよねw
トニー・カーンにメールを送ったんだよ。
「どうにかして共同でイベントをやる方法を見つけられたらクールだと思うんだ」
と言ったと思うんだ。そこから全て始まったんだよ。
それからトニーはすぐにどんなカードが実現できるかというアイディアを持ってきてね。
正直、オカダ・カズチカ、ジェイ・ホワイト、ハングマン・ペイジのカードが最初に上がったカードなんだよね。
アダム・コールがその時からカードに入っていたのか、それとも後から入ったのは分からないんだ。
でも、その時はただのアイデアにすぎなかったのに、『Forbidden Door(禁断の扉)』で実際に実現に漕ぎつけたのは面白いことだよね。
この会話は10ヶ月くらい前だったかな。かなり前の話さ。それがきっかけで、雪だるま式に広がっていった感じかな…
だから、10ヶ月前のあの文章から全てが始まったんだ。
日本とアメリカではショーのやり方が全く異なる
俺はAEWと新日本プロレスの間を行き来し、感覚的にアイデアが何であるかを伝えるだけでなく、感情的にもショー全体に何を必要なのかを伝えようとしたんだ。
例えば、「もっとこうして欲しい」「もっとこうなったらいい」「アメリカのファンや日本のファンのことも考えて、こうして欲しい」って感じにね。
2つの全く異なるビジネスのやり方を双方が理解できるように、それを分解しようとしたんだ。
AEWはアメリカの伝統的なテレビ放送がモデルになってるけど、新日本は日本のツアーをベースとしたモデルで、ショーのブッキングややり方がまったく異なっている。
だから、そのことを双方に説明しなければならなかったんだ。
旗揚げ当時のAEWと新日本の関係は相当複雑だった
新日本プロレスとAEWの関係は氷の上にあるようなものだった。
ELITEの選手達が新日本を退社した時、AEWがこの先どうなるかは全くわからなかった。
当時の社長はAEWとの協力にあまり可能性を感じていなかったみたいでね。
ROHやCMLLといった提携している団体もあったし「パートナーを怒らせないためにも、AEWについては一旦様子を見よう」と考えていたのかもしれないね。
目に見えるほどたくさんの選手がROHから去っていったし、非常に厄介で困難な状態だった。
AEWと新日本の扉を開いてくれたのはケニー・オメガ
しかし、ケニーとヤングバックスはAEW以前の新日本でも極めて重要な役割を担っていた。
しかも彼らはAEWの副社長であり、大きな力を持っていた。
彼らの存在を忘れたくなかったし、関係をなんとかオープンにしておく必要があったんだけど、その扉をケニーが開いてくれたんだ。
ケニーはこう言ってくれたんだ。
「KENTAがAEWに乱入してきて、モクスリーと一緒に何かをやるってアイディアがあるんだ」ってね。
そこから全てが始まったんだ。
その日以来ずっと、俺は常にAEWと新日本プロレスの間にいるようなものなんだよ。
かつてのインタビューでもロッキーは、新日本プロレスとAEWの雪解けのきっかけになったのはケニー・オメガだったことを認めています。
旗揚げ当初はまさに「禁断の扉」は完全に閉じていたと言える新日本プロレスとAEW。
その扉を最初に開けたのがケニー・オメガ。
そして、その開いた扉を完全に開けたのがロッキー・ロメロ。
新日本をきっかけに世界に羽ばたいたAEWの選手と、かつてのLA道場で育った新日本の選手の貢献でこの世界的なイベントが実現したというのなら、これほどドラマティックなことがあるでしょうか?
二人が開けた扉を通って、これからも双方の選手がお互いの団体を行き来することでしょう!
その中でケニーとロッキーがどんな活躍や貢献をしてくれるか、今から楽しみですね!!