クリス・ジェリコ「当初『Y2J』を必殺技の名前にする所だったが、ビンスの助言で止めた」

現在AEW旗揚げメンバーであり、中心人物であるクリス・ジェリコ。

そんなジェリコは1999年にWCWからWWE(当時はWWF)に移籍してから何回か離脱を繰り返しつつも、約17年間WWEで活躍を続けました。

中でもWWE社長のビンス・マクマホンとジェリコは仲が良いことで知られています。
ジェリコが2018年に新日本プロレスに参戦した際も、まわりの予想に反しビンスはジェリコの新日本プロレス参戦を後押ししてくれたと過去のインタビューで語っています。

ある意味、ビンス・マクマホンという人物を最も理解していると思われるクリス・ジェリコ。

そんなジェリコが、Podcast番組「True Geordie」中でビンス・マクマホンについて語りました!

ビンス・マクマホンの素の姿、ビンスの漏らした思わぬ本音、ビンスを天才たらしめる要素、1999年にジェリコがWWFデビューの際に受けたビンスからのアドバイス等々…

ずっとビンスの側で働き続けたジェリコにしか語れない、非常に面白いインタビューでした!
ぜひお楽しみください!!

目次

ビンスはイエスマンを嫌う。だから良好な関係を築けた。

クリス・ジェリコ:

ヴィンスは根っからの若者気質なんだ。

俺の言いたいことが分かるかな?ご存知の通りあの男はクソ野郎だ。
死ぬほど威圧的で、億万長者で、プロレス業界のアイコンと言える超巨大企業を作り上げた存在だ。

でも心の根柢の部分で言うなら、色々なところをぶらぶら散歩したり、くだらないジョークで笑いあったり誰かとお酒を飲むのを好むようなヤツなんだよ。

でもビンスの周辺には、全員とは言わないがイエスマンだらけだ。
ああいう立場にある男の常だろう。ビンスはイエスマンを好まない。だから俺と彼は良好な関係を築けたんだろうな。

今は昔ほど彼との関係は強くない。今は彼のために働いているわけではないから、昔とはちょっと違うだろうね。

ただ、今俺がビンスにメールしたらきっと五分以内に返信をくれるよ。いつだって彼はそうなのさ。

ビンスがプロレス業界から離れたいと漏らしたことも…

ビンスのために働くのは本当に楽しかった。ビンスが俺をどんな風にプッシュして、どんなチャレンジをさせるかいつも楽しみにしてた。

そして周りの人間が「ああ…ビンスが狂った…」「今のビンスはどうだ、本当に酷いブッカーだ」なんて、色々騒いでる様を見てよく笑ったものだよ。

でも、相手は40年もプロレスに携わってきた男だ。40年もずっと続けてるだなんて想像できるか?

2005年に一度WWE退社しようとしたとき、俺は「業界から離れたい」とビンスに言ったのを覚えてる。

そしたら彼は「俺も業界から離れたいと思うことも時々ある。でも無理なんだ」と漏らしたんだよ。

3秒くらい切なそうな表情をしてたっけ。それからすぐに彼はビンス・マクマホンに戻ったけどね。

ビンスは既存のアイディアに一工夫して、素晴らしいアイディアに変える天才

もちろん、この仕事をこなすのは難しい。
ただ、ビンスの素晴らしいところで、彼と本当に密接に仕事しない限り気付けないことがある。

彼はよくこんな事を言うんだ。
ジェリコ『おい、俺はどうしたらいいんだビンス?』
ビンス『知らん。ブッキングはしたからあとはお前の方で上手くやれ。いいな』

だから俺はアイディアをビンスに持っていく。俺が完璧に練りに練ったアイディアだ。

例えば、そのアイディアがこのペットボトルだったとしよう。
「見てくれよビンス、これが俺のアイデアだ!このペットボトルには水が半分入っていて「エヴィアン」と書いてある。クソ儲かるぞ、間違いない」って感じさ。

それをビンスに伝えると、彼はそのアイディアを吟味し始める。

普通の人ならアイディアについて話したり考えたりするとき、30秒経って何も浮かばなければつい会話を始めようとする。
でもビンスは一味違う。もし彼が考えている間はじっとしていればいい。彼はこういう時にくだらない世間話をされるのを嫌うんだ。

彼はただそこに座って、30秒や1分じっくり考えるんだよ。まぁ、その時間は死ぬほど居心地悪いんだけどねw

それでも彼は思考を止めない。しばらくしたら彼はペットボトルを手に取って、ボトルの向きを180度回転させるんだ。

俺が思いついたアイディアがより素晴らしいものに変わる瞬間さ。
ちょっとした工夫を加えるだけで、「良いアイディア」が「素晴らしいアイディア」に生まれ変わるんだ。

ここがビンス・マクマホンが天才たる所以なのさ。

ビンスと一緒に仕事していた時、彼の方からアイディアの発端や土台を思いつくことはなかった。
でも俺がアイディアの土台をビンスに提示すると、彼は小さな工夫1つでそれを素晴らしいアイディアに変えてしまうんだ。

俺の生み出してきたデカいヒットのほとんどは、既に話した通りビンスのちょっとした工夫によって素晴らしいものになったんだ。

WWEデビュー時の演出を、最高のものに変えてくれたのもビンス

例えば、俺がWCWからWWEに移籍した時のあの史上最高の入場パフォーマンスについてだ。

当時たまたま郵便局に行く用事があったんだけど、そこで3か月後に迫ったミレニアム(2000年)に向けたカウントダウンクロックが置いてあったんだ。

5日6時12分10秒…9秒…8秒…7秒…みたいな感じでさ。
それを見て、俺がWWEに乗り込むための最高の演出を思いついたんだよ。

このカウントダウン・クロックの演出に彼は一工夫を加えた。
ロックがプロモをしている際中に電気が消え、いきなりカウントダウンが始まるというものだった。天才だと思ったよ。

そんなこと決して思いつかなかったし、思いついても提案するわけがなかった。
番組の冒頭や終了直前に映像が流れて姿を現すことになると想像してたんだ。

ロックのプロモの邪魔をするなんていう些細な変化で、あの瞬間を超ヤバいものに変えてしまったんだ。

WWEデビュー当時のジェリコの入場シーン。終盤のジェリコの感極まった表情が非常に印象的です。

当初『Y2J』という名前はフィニッシャーに使おうと思っていた

実は当初『Y2J』については俺のフィニッシャーの名前として使おうと思っていてね。

そのことをビンスに話したら断固として反対されたんだ。

ビンス「NO NO NO、『Y2J』はフィニッシャーの名前として使うべきじゃない。君の名前にするべきだ」
ジェリコ「おいおい、マジかよ」
ビンス「そうだ、君は『Y2J』だ!」

なんて会話を当時ビンスとしたんだ。
そしていまだに『Y2J』チャントはファンに愛され続けてるんだからマジで信じられないよな。

『Y2J』というワードを考えたのは俺かもしれないが、ビンスという男はいつも物事を全体像で見ているんだ。

こんな感じでアイデアにちょっとしたアレンジや要素を加えて、真に素晴らしいものに変えてしまう。
まさにビンス・マクマホンが天才と言われる理由なんだよ。

ジェリコが新日本プロレスに初めて参戦した時も、「Y2J」コールが自然発生したのを今でも覚えています

クリス・ジェリコとビンス・マクマホンの2人に『タブー』という言葉は存在しません。

今はAEWで八面六臂の大活躍を見せているジェリコですが、数年後にWWEとAEWのリングに同時に上がっていても何ら不思議ではありません。彼はそういう男です。

今ビンス・マクマホンは自身の不倫スキャンダルで大変な状況にあります。

どんな形であれ、ジェリコとビンスの2人が同じリングで大暴れするシーンがまた見たいものですね…!

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