AEWの副社長であり、世界最高のタッグチームでもあるヤングバックスのマット・ジャクソンとニック・ジャクソン。
2人はプロレス業界の中でもグッズ販売に力を入れていることで有名です。新日本プロレス在籍時代、バレットクラブのアメリカにおける知名度が高まった要因の一つは2人のグッズのプロモーションにあったことと思います。
また、WWEから「Too Sweetポーズ」の使用を禁止された際もそれを皮肉るTシャツを販売し、Tシャツ売上の記録を作った事もありました。
しかし、そんな2人のグッズ販売を重視する姿勢は一部のプロレスファンから時に批判の的になる事もあります。
なぜ2人はそこまでグッズの販売にこだわるのか?
Swerve City Podcastに出演したニックとマットは、2008年にドラゴンゲートに参戦していた時、貧乏で困っていたエピソードや、ドラゴンゲートの厳格さ、グッズ販売の重要性を認識した過去を語りました。
マット「日本には100回以上ツアーで参加した。人生の大半を日本ですごした」
スワーヴ・ストリックランド「君たちはイギリスでの活動は少ないのか。意外だな」
マット・ジャクソン「2017年か2018年の終わりごろに行く機会はあったと思うけど、イギリスでの活動は少なかったね」
ニック・ジャクソン「それと比べると、日本にはだいたい100回以上はツアーに行ったかな。イギリスとは比べ物にならないよ」
マット「人生の大半を日本で過ごしたようなもんだ(笑)。」
スワーヴ「日本にはどれぐらいの期間滞在することが多かったんだい?」
ニック「ここ数年は一つのツアーで1試合だけやって帰る、なんてことが増えたから少し楽になったよ。でも、最終的に月に2回のツアーに参加するぐらいの頻度だったかな」
マット「2013年に新日本プロレスで活動を始めた時は、21日間もそこにいたんだよ。長かった。それから10日間帰ってまた21日間行って。10日間帰ってまた21日間行く。それの繰り返しだったよ」
ニック「実は海鮮が苦手。だから若手の時は食事に苦労した」
ニック「1試合やってすぐに帰るスタイルの方が助かる。文化の違いも大変だったからね。俺、魚とか海鮮が苦手なんだ。だから、食べ物にはめちゃくちゃ苦労したよ。
日本で最初のツアーの時…たしか2008年の頃かな?には、マクドナルドしか食べなかったんだよ。太ってしまうけど、お金もなかったから毎晩マクドナルドを食べていたんだ」
マット「子供たちの教育のためにこんな話をするのが好きなんだ。『おお、わが子よ。お前たちは甘やかされてる。今は美味しい食べ物を食べられるけど、2008年の頃はお父さんはとても貧乏だったんだぞ』ってね」
マットは「ドラゴンゲート時代の給料は1試合100ドル。一日10ドルで生活してた」
マット「(当時活動していた)ドラゴンゲートでは1試合100ドル(一万円弱)しかもらえなかった。だから、ニックと俺は1日10ドル(千円前後)の食費制限をしていたんだ。だから、マクドナルドに行くしかなかった。彼が海鮮アレルギーだったって理由もあったけどね」
ニック「99円ショップにもよく行ったよな」
マット「ああ、パンとピーナッツバターとジェリー(固形物を濾して取り除いたジャム)でサンドイッチを作ったりした。とにかくお金がなかったからし。
当時は神戸を拠点にしていたんだけど、数キロ先のマクドナルドに歩いて通ってたよ。2人で5個ずつチーズバーガーを買って、2個食べて、残りは夕食用に冷蔵庫に入れて。お金もなかったし1日10ドルの制限もしてたからね。でも、その10ドルはすぐになくなるんだよね。
でも、こんな生活を続けてでもしなきゃここじゃお金を稼げないと当時は思っていたんだ」
マット「キャリア初期のドラゴンゲートでの活動が、ヤングバックスの礎になってる」
スワーヴ「分かるよ。特にDG、ドラゴンゲートのスタイルは体への影響が大きいもんな」
ニック「そのことにずっと気づかなかったんだ。PPVの時には特に全力を出さなければならないと思っていた。でも、100人の前のハウスショーでもPPVクラスのムーブを求められた時はさすがに『マジかよ・・・』って思ったよ」
マット「ドラゴンキッドにそう言われたときは、『150人の観客の前でも過激な跳び技やれってのかよ』なんて思ったりもしたっけな」
ニック「でも、他の人々が有言実行しているのを見て俺たちも刺激を受けたんだ。キャリア初期のドラゴンゲートでの活動のおかげで、毎晩のように狂ったムーブをやってのける気概を得たような気がするよ。」
マット「それが今の俺たちのスタイルの礎になったんだ。だから今は文句を言えないよ。
でも振り返ると、日本におけるドラゴンゲートの規律はかなり厳しかった。リングの設営だけでなく、リングの周りの椅子の設置も含めて何でも手伝うんだ。
試合後には、すべてを解体してバスに入れて、また別の会場で組み立てる。30日間のツアーで24試合あったら、ずっとそれを繰り返す。
その苦労を経験したこともあって、俺たちはこの厳しい仕事に非常に規律を持って取り組むようになったんだ」
ニック「そう、いい仕事に取り組む為の倫理観が身についた気がするよ」
マット「俺たちに飛行機代程度の価値しかないのだとしたら、グッズを売らなきゃ稼ぐことはできないと悟ったんだ」
マット「グッズを売ることの重要性もそこで学んだよ。試合で稼げるお金は100ドルしかなかったから、金を稼ぐには写真とかの商品を売るしかなかったんだ。」
スワーヴ「それが食ってくための手段だよな。だからプロレスラーはグッズ販売にも力を入れる」
マット「3×5インチの小さい写真をコストコで印刷しに行ってね。それを会場で『サンビャクエン!サンビャクエン!』って叫んで売ったよ(笑)。それにニックと俺がサインして。今日はこの山を全部売り切らなきゃって思った記憶があるよ」
ニック「その日の夜の終わりには、グッズの販売で試合よりもお金を稼げたと思って嬉しかったんだ。凄いことをやったなって」
マット「そして、それがアメリカでの活動における基礎になったんだ。俺たちに飛行機代程度の価値しかないのだとしたら、グッズを売らなきゃ稼ぐことはできないと悟ったんだよ」
若手時代にお金がないことで苦労したことを語ったヤングバックス。今回AEWとの契約延長を行った二人は、NBAクラスの大きな契約を結んだとポッドキャスト内で発表しています。